入管職員から「日本で学校に行っても在留資格がないから、時間の無駄だしお金の無駄だから国に帰りな」と言われました。
「難民」は遠い国の話ではありません。
日本国内にも、母国の政府による迫害から逃れてきた「難民」の方々が暮らしています。しかし、日本政府の難民認定率は1%以下。母国で身の危険を感じた方が難民申請をしても、日本で認定されることは滅多にありません。
難民申請が不認定になれば、時には入管施設に「収容」されてしまいます。そうでなくても「仮放免中」というステータスになり、働くことも、健康保険に加入することも許されず、県外に移動する自由すら奪われます。
今回、そんな仮放免中の方(以下、「仮放免者」)であり、クルド人である若者・メルバンさん(仮名)から、講演形式で話をうかがいました。
メルバンさんは、幼少期に来日し、今日に至るまでずっと日本で生活をしています。命の危険を感じ、平和を求め家族とともに辿り着いた日本で、再び人として生きる権利を踏み躙られている問題と、そしてご本人の夢を、自らの言葉で語っていただきました。
全5章でお届けいたします。仮放免者の生の声に耳を傾け、私たちのすべきことが何なのか、思いを巡らせていただければ幸いです。
第1章 日本での生活の始まり 〜仮放免者への偏見〜
第2章 高校進学と、夢の挫折
第3章 守られるべき人権と新しい夢
第4章 仮放免者の苦境 〜進学・健康保険・コロナ〜
第5章 ウクライナ難民の陰で、クルド難民は(最終回)
第1章 日本での生活の始まり 〜仮放免者への偏見〜
一人のクルド人として、そして仮放免者として、これまでの私の経験とクルド人についての話をしたいと思います。
―父との再会と日本での生活のスタート
私がまだ物心つく前の頃、父がトルコを出国し、単身で日本へ来ました。その数年後、私と母は父と生活するため、後を追うように来日しました。
来日後、私たちは三日間ホテルに収容され、父との面会は禁止されていました。お父さんは私たちがいる6階建てのホテルの部屋から見える位置で手を振ってくれました。私は幼くして父と離れたので、この時に初めて「あの人がお父さんなんだな」ということを理解しました。
ホテルでの収容が解かれ、私とお父さんはいっしょに生活を開始しました。私が日本に来て、初めてやっと会うことができたという気持ちでした。
日本での生活が始まりました。来日して3ヶ月で小学校に通うようになりました。日本語能力はゼロなうえ、学年で一人の外国人だったので不安で、最初は友達ができませんでした。
しかし時間が経つにつれてどんどん話せるようになり、友達も増えていきました。この友達が初めてできたという背景にはサッカーがあって、サッカーをきっかけに気づいたら友達もどんどん増えてきて、日本語を教えてくれる友達とかジェスチャーで色々教えてくれる友達、アニメも勧めてくれる友達ができました。
そのため、小学校の時から将来はサッカー選手になりたいという夢を持ち始めました。
―突然の父の入管収容と仮放免者への国内での偏見
しかし来日して1年もしない時に、私のお父さんが入管に収容されました。そのため私たち家族は経済的な理由で知人が住む町に転居しました。学校も転校という形になりました。
転校先では父が収容されていることが、友達に知られて、お父さんが「犯罪者」だと思われていて仲間外れにされました。仮放免についてはわからない方が多いので仕方ないと思うのですが、犯罪を起こした人だと思われていました。
その後、それが固定化されてしまって、私のお父さんも当時は犯罪者だと思われていました。クラスメイトの親が子どもに「あの子のお父さんは悪い人だから、あの子と遊ばないように」と言っているのを聞いてショックを受けました。
その後私自身もなぜお父さんは収容されたのか理解できず、悪いことをしたのではないかと思い始めました。精神的なダメージになってしまって、学校へ行く回数も減り、学校に行くといって途中の公園で一人で遊んだり、早退したりしていました。
(そんな私に対して)母は、父が犯罪者でないことを教えてくれました。 なんで収容されたのかなという気持ちでいっぱいでしたが、悪いことをしてないと聞いて安心しました。
3ヶ月経った頃に、収容を解かれて父は帰宅しました。また父と一緒の生活が再開しました。父が犯罪者でないことを何度説明しても、(クラスメイトたちが)あまり理解してくれなかったので、最終的に父に学校に来てもらって、捕まっていないということを証明して、 やっと理解してもらいました。
また何の前触れもなく父は捕まったので、(父が家に帰ってきてからも毎月1回義務づけられている)入管への出頭日は、また捕まるかな・・という気持ちでいっぱいで、授業に集中できませんでした。
第2章 高校進学と、夢の挫折
―サッカー選手になる夢とそれを妨げる制度の壁
中学校に進学後も、サッカー選手になりたいという夢を叶えるために毎日練習して努力し、中学高校とサッカー部に入部しました。
とても熱心で2時間ランニングしたり、ボールを蹴ったりして、父さんから「サッカー馬鹿なのかな」と言われるくらいでした。(笑)
でも入管に通うようになってサッカー選手になるという夢はやめたので、それについてお話をしたいと思います。
それまでは両親が代わりに行って入管での手続きをしていましたが、高校生になってからは、「本人が難民申請や、入管への出頭をするように」と言われました。
初めて入管に行った時、日常生活とか学校生活などについて答えました。
(職員から質問されることには)全てちゃんと答え、(彼らに対して)悪い事は一言も言わなかったのですが、いきなり入管職員から「日本で学校に行っても在留資格がないから時間の無駄だし、お金の無駄だから、国に帰りな。」と言われました。
あまりの発言に私は耳を疑いもう一度聞きました。でも同じ答えが返ってきました。
その後に詳しく話を聞くと、仮放免者は就職や他県への移動が禁止されていること、そもそも在留資格がなくて仕事もできないため、プロサッカー選手としてクラブチームに入ることができないので、「どんなに努力しても無駄だよ」と言われました。
かなりショックでした。
「なぜそのようなことを言われなければならないのか・・・」と疑問と同時に怒りを覚えました。
―夢の挫折
その後少し考え、「良い成績をとって、その成績表を持っていけば認めてくれるのでは?」と思い、努力をしました。
必死に努力をした結果、良い成績を取ることができました。
「これならさすがに悪いことを言われないだろう。」と思っていたのですが、(出頭日に入管の職員から、)「どんなに頑張っても無駄だから国に帰って。」と言われました。
その後、私自身「どんなに頑張っても無駄だな」と考えるようになってしまい、両親にも相談しました。
そして、【(自分から)サッカーの夢をやめる】のと、【3年間続けてから(仮放免のため結局)クラブチームに入れず夢を諦める】のと、どちらが大変なのかを考えました。やはり、どんなに頑張っても制度的な理由でサッカー選手になれないのはつらいなと思い、自分からサッカーの夢をやめることにしました。
また、高校を退学することも考えましたが、これまで支えてくれた日本語の先生がたに申し訳ないし、両親も高校までは卒業させたいという気持ちがあったので、それを裏切ってしまうことになると思い、高校には通い続けました。
第3章 守られるべき人権と新しい夢
―人権と日本政府の対応
サッカー部を辞めてから大分落ち込んでいましたが、ある日の授業で人権について学びました。
「人権とは、人間が生まれながらに持っている権利であり、誰からも奪われることのない権利」であるということを習いました。
これを知って私は、「自分の人権は保障されていないのではないか」と思い始めました。
仮放免で私たちの人権は制限され、入管には帰るように言われている状況で、(私たちの)人権は保障されているとは言えません。
仮放免によって、他県への移動や就職を制限され、日常生活に欠かせない保険証も取得できない状態です。
また現在、日本政府はクルド人の人権よりもトルコとの関係や貿易を優先して、クルド人を難民認定していません。
現在、一人だけ札幌の方で難民認定される可能性が高いクルド人がいるのですが、今のところまだ一人も難民認定されていません(注)。
(編集部注:その後、2022年8月に札幌のクルド人の方が一人、難民認定を受けることが確定しました。参考記事「【速報】トルコ国籍のクルド人が、初めて難民認定されました!」)
―人権が守られないことへの疑問から学問の道へ
そもそも「なぜ私たちは人権を保障されていないか」が気になり、個人的に調べ、私が難民として認められないことを理解しました。
そして、もっと難民について知ってもらいたいという気持ちがあったので、人権について学ぶことを決めました。
当時は自分が「なぜこんな目にあっているのか」と思って勉強しようと思っていましたが、私よりもっとひどい状況で、生きていくことさえできない環境にある人もいることがたくさんいることも知りました。
そういう人たちの役に立ちたい気持ちもあったので学問として本格的に学ぶことにしました。
―新しい夢
私の夢は「誰もが人権が保障される国際社会になるよう貢献すること」です。その一つの手段として国連職員になってUNHCRなどの難民に関わる職に就きたいです。
でも仮放免中という現状のままでは何もできません。だから今は、「仮放免に新しい夢を潰されたくない」という気持ちでいっぱいです。
また私の弟はサッカー選手になりたいという夢があります。
私はサッカー選手という夢を諦め、そしてそのことを今でも後悔しているし、もしかすると一生後悔するかもしれません。
だから、彼には私のような気持ちを味わってほしくないのです。
そのような守られるべき人権が守られていない人たちのために、頑張って、「誰もが人権保障される国際社会になるように貢献したい」と思っています。
第4章 仮放免者の苦境 ― 進学・健康保険・コロナ
―日本にいるクルド人
日本の難民受け入れについて、少し私の意見を話したいと思います。
日本には約2,000人のクルド人がいます。
仮放免状態にある人も多く、移動の自由と就労の制限、入管への出頭義務があります。私たちは難民ですが、日本の政府は私たちを難民として認めようとしません。
私たちクルド人の仮放免者のほとんどは、「入管に収容されたら・・・」という不安を抱えながら毎日生活しています。長期にわたって日本に滞在し、日本を第二の母国と思っている人もたくさんいます。私もその一人で、人生の半分以上を日本で生活していて、様々な経験をし、日本でたくさんの友達ができたので、日本は第二の母国です。
しかし、一方で日本人に対して良くない印象を持っているクルド人もいます。その背景にあるのは入管職員の態度です。
日本人が入管に行くと、入管職員はすごく優しいというイメージを持つかもしれません。しかし、外国人に対してはタメ口で話したり、日本語分からない人に対して何回も同じ言葉を繰り返してひたすら困らせるなどの態度をとったりします。
そういう姿を見て、「日本人は、こういう人たちなんだな」というステレオタイプのイメージが作られていった結果、良くない印象を持っている人がいるのです。
―クルド人の子どもの教育事情
クルド人の子どもにおいては、学校に行きたいと思っていてもそれができない子たちがたくさんいます。小学校や中学校には行けますが、高校からは経済的な壁もあって通うことが難しくなります。大学については、そもそも仮放免中の難民を受け入れている大学自体が少ないです。
また、日本人にとっては、奨学金を借りることは当たり前かもしれませんが、正規の在留資格を持たない私たち仮放免者は奨学金を借りられない(注)ので、(仮に受け入れる大学があったとしても経済的な理由で)大学に行ける人は少ないです。
(編集部注:独立行政法人日本学生支援機構のホームページには、申込資格を持つのは「法定特別永住者・永住者・定住者(将来永住する意思のある者のみ)・日本人の配偶者等・永住者の配偶者等」の在留資格の学生のみと記されています。また、「なお、これ以外の在留資格の人は申し込むことはできません。」ともあります。そもそも在留資格を持たない仮放免中の難民である学生については、想定すらされておらず、申し込むことはできないということになります。)
それでも、現在、高校や大学に行くクルド人が少しずつ出てきています。それは日本語教室などの活動をやっているクルド日本語教室やクルドを知る会などの皆さまのおかげです。
―保険証がなく、医療にも繋がれない
仮放免者は、保険証をもつことが許されていません。保険証のない生活は大変です。私の両親は二人とも、保険証がないため、多額の借金があります。
母と父は、それぞれ日本の病院で手術をしたことがあります。母は病院に対して、50万円以上の借金があります。
保険証がないため全額自己負担である上に、就労が禁止なので支払いが困難です。お父さんの病気は、初期段階ではそこまで深刻な病気ではないのですが、放置してしまった結果、脳に支障をきたす所まできてしまい手術をしました。特殊な手術のため、大学病院で手術をした結果、一部だけで100万円以上になりました。更に手術を重ねなければいけないのですが、この借金の支払いを終えないと手術できません。
私の父以外にも、仮放免のクルド人の多くは、病院への多額の借金が払えないから、病気やけがを放置してしまうことがあります。その結果、さらに病状が深刻になり、多額の借金などをしなければいけない状況になります。
―コロナ禍で困窮するクルド人
日本のクルド人にコロナが与える影響についても話したいと思います。
仮放免のクルド人は、コロナの給付金がもらえません。皆さんは10万円をもらったと思いますが、仮放免者の人は住民登録がされておらず、何も連絡が来ません。
クルド人の仮放免者は、働くことができる在留資格を持っているクルド人から支援を得て生活をしていました。その人たちの仕事もコロナの影響で減ってしまって、仮放免のクルド人を支援することができなくなっています。
またワクチン接種ですが、仮放免者にはワクチン接種券が届きません。住民登録がないためです。入管や市役所にクルド会が相談したのですが、「一般人の接種が終わってから仮放免者の接種を開始しましょう」ということで、後回しにされてしまいました。また日本語が分からないため、ワクチン接種を行っている人は少ないのが現状です。
第5章(最終回) ウクライナ難民の陰で、クルド難民は
―ウクライナ難民のニュースの陰で、強制送還されそうな私たち
少し日本のウクライナ難民受け入れについての意見を言いたいと思います。
日本は、ウクライナ難民を積極的に受け入れて、手厚く支援しています。ニュースとかテレビでもウクライナ難民を手厚く支援しているのを見て、「優しいな」と思う気持ちもありますが、「国内の難民も見てほしい」という気持ちもあります。
ウクライナ難民に手厚くしている一方で、入管法改正政府案を通じて、国内にいる難民認定されていない難民を排除しようとしています。
この政府案というのは難民申請を3回以上して、不認定処分となった仮放免者を強制送還で帰らせるという中身のもので、もしこれが採択されてしまったら私も強制送還の対象になります。
2020年5月にこれが提出されてその時取り消しになって、今年の5月に提出されるという話題があったのでその話を聞いた時に、すごくウクライナ難民には手厚いのに、私たちは難民じゃないのかなという気持ちですごく不安になりました。私たちは難民なのになぜ排除の対象となるのか納得できません。
ウクライナ難民を積極的に受け入れる姿勢はすごく素晴らしいものだと思いますが、その一方で国内難民を無視あるいは排除しようとしているのは良くないと思います。
―最後に
平和と言われる日本にも人権が保障されていない人々が存在することを、皆さんに理解してもらえたらなと思います。
あと、自由に働け、自由に移動でき、すぐに病院に行けるという日本で当たり前とされている生活が、私たちにとっては当たり前ではないことを理解してもらえたら嬉しいです。
本当に、自由に移動できるとか、働けるとか、すぐに病院に行けるというのは、私にとってはすごく羨ましいです。
友達に誘われたとしても県外に行く時は許可を取らないといけない。もし許可をとる場合、友達と遊ぶという理由では絶対許可が出ないんです。
その他にも、私はアルバイトもできないので、お金を貯めて何か欲しい物を買うということもできませんし、自由に働けるのもすごく羨ましいです。
そしてすぐに病院に行けるのが一番うらやましいです。
頭が痛いだけでも病院に行く人を見て、私たちは1回行くだけで(医療費全額負担のため)2万とか3万かかってしまうので、頭が痛いから病院に行くという日本人を見るとうらやましいなと思います。日本人にとって当たり前ですが、私たちにとっては当たり前でないことを理解してほしいです。
また仮放免という制度は人権を大幅に制限していて、日本で育ってきた子どもの将来の夢を諦めさせてしまうものです。私も仮放免で小学生からのサッカー選手になりたいという夢を邪魔されて、諦めてしまって、今も後悔しているし、これからも一生後悔すると思っています。
また、日本では同じ難民であっても出身地によって違う扱いを受けているということを理解してもらえたら嬉しいです。ウクライナ難民はすごく手厚く支援されており、アパートやアルバイトまで用意されていて、「なぜ私には…」という気持ちがすごくあります。
私は人生の半分以上を日本で過ごしていて、同じ難民なのに、そして大学に行くことも困難であるのに、ウクライナ難民はすごく手厚く支援されていて、アルバイトまで用意してもらえて。「私も同じ人間なのに、どうして?」という疑問を持ちました。
最後に、これは私の夢ですが、将来、誰もが人権を保障される国際社会になるように貢献したいと思います。母国であるトルコと、第二の母国である日本との架け橋となれるような存在になりたいです。
どうか、トルコ政府から迫害されたクルド人として、日本政府に難民認定をしていただきたいです。
〈終わり〉
編集部より
このクルド人の若者は、子どもの頃から日本で過ごし、仮放免中の難民として入管に心を折られながらも、ひたむきに人生を歩んできました。今は、国連機関の職員になりたいという夢を追いかけ、勉強を続けているそうです。
一人の若者が、自暴自棄になってもおかしくないような状況下で、それでも世の中をより善くしようと懸命に努めているのであれば、私たち一人ひとりも、同じくできる限りのことをする責務を負っているはずです。
今、私たちは皆さまからいただくご寄付を通じて、クルドの子どもたちをはじめ難民・移民ルーツの人びとが日本語を学べる場を増やそうとしています。
日本語ができれば、人とつながることができます。
いつか日本で長く暮らすことを許された時、いろんな可能性にチャレンジすることができます。
子どもたちが、この国で前を向き、平和に暮らし、より良い未来を築けるように。
どうぞ、この運動にご参画ください。よろしくお願いいたします。