NPOメタノイアとは

組織名の由来

メタノイア(METANOIA)の意味

メタノイアは、“視座を移す”という意味の古代ギリシア語です。

私たちは、すべての、文字どおり 「すべて」 の人が幸せを追求できる社会を築くという目標を掲げています。その実現のため、この社会で最も小さくされた人びとの願いにこそ耳を傾け、その望みが共感できるところへ視座を移したい(メタノイア)、と考えています。誰も小さくされない社会は、すべての人が幸せになれる社会の礎になると信じるからです。

「メタノイア」は、そんな思いを込めて名付けられました。

参照:『聖書を発見する』(本田哲郎著、2010年)

Our Vision - 求める世界のあり方

隔ての壁を越え、多様性を力として、すべての人が幸せを追求できる社会へ

人類社会は元来、人種、言語、文化、その他あらゆる要素において豊かな多様性をもっています。しかし、我々はそこに互いを隔てる分断の壁を築いてしまいました。国境線が引かれ、国籍がない人は生きる権利さえ保障されないことがあります。肌の色が違うだけで差別され命を脅かされる人もいます。多数者の使う言語が使えないことで、持って生まれた可能性を試すことさえ諦める子どもたちは数え切れません。人類社会の課題です。

日本国内に目をやれば、やはり隔ての壁が横たわっています。たとえば、技能実習制度においては、劣悪な労働環境の中、賃金の未払いや雇用主の暴力に耐えかね失踪する人が跡を絶ちません。あるいは、日本生まれであっても、在留資格を持たなかったため一度も学校に通わないまま大人になった子もいます。朝鮮学校においては、国からの補助金が削られ、生徒はヘイトスピーチの恐怖にさらされています。

私たちは、すべての、文字どおり「すべて」の人のいのちが、その人自身の幸せのために等しく扱われるべきであると信じています。国籍も、言語も、他のいかなるものもその妨げとなってはなりません。たとえ国が権利を保障しない制度的理由があったとしても、私たちはそれ以前に、一人の人間として、すべてのいのちを等しく大切にする世界に生きていたいのです。

人の多様性は、人と人を隔てる要因となるだけではありません。むしろ、豊かな可能性をもっています。私たちが出会ったフィリピン出身の子どもは家族を愛する大切さを教えてくれました。パキスタンから来た女性はイスラム教の習慣に出会わせてくれました。ガーナで育った青年はユニークで鮮やかな色彩の絵を描いて見せてくれました。

日本ではすでに300万人もの外国籍住民が暮らしています。18歳以下も30万人を越え、次世代が国内で育ってきています。最長5年で帰国を強制される技能実習生をまるで使い捨て労働力かのように手軽に利用しても、5年経てば日本にはほとんど何も残りません。むしろ、すでに定住している子どもたちがそれぞれの多様な可能性を最大限発揮できる環境を準備することの方に、私たちは希望を見出します。

Our Mission - 私たちの使命

世界につながる子どもと社会をつなぐ

「Our Vision – 求める世界のあり方」を現実のものとするため、我々は、外国にルーツをもった世界につながる次世代、とくに子どもたちとの出会いを大切にしたいと思います。ことに、言葉や国籍の壁により隔てられ取り残された子どものもとに出かけ、共にその壁を打ち崩し、社会とのつながりを紡ぎます。

「社会」とは、日本社会であり、地域社会であり、学校や保育園をはじめとした様々な社会資源です。時には同胞コミュニティかもしれません。それらへのスムーズなアクセスを実現するため、直接支援と仕組みづくりに尽力します。また、あらゆる社会資源に、多様性豊かな人を受け入れる素地をつくりたいと思います。

同時に、社会の側からの心の歩み寄りも促します。いじめや差別による心の壁が、世界につながる子どもたちを社会から遠ざけています。当たり前ですが、恐ろしいのです。いじめが怖くて保育園や学校に行けないという子が無数にいます。このまま、子どもの可能性がむしり取られていくのを見過ごしているわけにはいきません。社会全体の「外国人」に対する差別に抵抗する声を上げ続けていきます。

我々は、より良い社会のつくり方について、今この社会でもっとも小さくされ、もっとも隅に追いやられている人たちに教えを請わねばなりません。この社会を「すべて」の人にとって幸せが追求できるより良い場所とするためには、社会の真ん中からもっとも遠ざけられた人たちの望みを知らなければ実現不可能だからです。そちらの側に視座を移し、共に真ん中に向かうことが必要です。

こうして、もし、多様性豊かな子どもたちが一人残らず社会とつながり、多様なかたちで自己実現を成し遂げる子どもが今よりもっと多くなれば、きっとそれはその子たちにとってだけでなく、我々みんなにとっての幸せにもつながるでしょう。

日本の障害福祉の父と呼ばれる糸賀一雄がこう言いました。「この子らを世の光に」。憐れな「この子らに世の光を」ではなく、この子ら自身の「真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目ざめ救われていくのだ」。

世界につながる子どもたちの存在が、いつの日か世の闇を照らす光となるよう、我々もまた、一人ひとりと大切に出会い、この世のみんなの幸せのために、社会構造の変革を完成させたいと願います。